僕のいた時間で三浦春馬が発症するALSは、恐ろしい病気ですよね。
2013年に亡くなった、元プロ野球選手の土橋正幸さんも
発症した1年後に亡くなったそうです。
そんなALSを患った代表的な2人を紹介しますね。
ALSについては以下のページを参照してください。
⇒ 「ALS」の症状って?
ルー・ゲーリッグ
(出典:wikipedia)
ルー・ゲーリックがこのALSにかかったことから、
ALSの別名は、「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれるようになりました。
ゲーリッグはかつてニューヨーク・ヤンキースでプレーし、
当時の世界記録となる2130試合連続出場を果たし、
「鉄の馬」との愛称で呼ばれていた名選手です。
ゲーリッグは、あの野球の神様と呼ばれたベーブ・ルースと共にプレーし、
1934年には三冠王を獲得し、
1939年には当時史上最年少で殿堂入りを果たしました。
日本でいう王貞治と長嶋茂雄のような存在でしょうか。
そして、MLB史上初めて自身の背番号「4」が
永久欠番に指定された選手になった偉大な選手です。
ちなみに2013年に、イチローがメジャーでの安打数2721本を抜きました。
そんな大スターのゲーリッグですが、1939年に体調異変を感じて、
その後の診断で筋萎縮性側索硬化症(ALS)の診断を受けました。
ゲーリッグの母もALSであり、
彼の顔の表情機能の低下や奇妙な歩き方は母親と似ていたようです。
1939年6月13日に診断を受け、6月21日に現役引退を発表しました。
「悪いニュースがある。筋萎縮性側索硬化症だという事だ。
治療法はない。珍しい病気らしいし、
感染したのかと思うけどチームメイトに伝染したとの話は聞かない。今のまま暮らせる可能性は半々らしく、
10年から15年後には松葉杖の生活かもしれない。野球を続ける事は論外だ…」
と言い残しました。
大スターの衝撃の告白で、国民はショックを受けていたことでしょう。
ゲーリックは10月に仮釈放委員会委員に就任しました。
ですが、1941年の5月頃になると次第に歩けなくなり、
車椅子の使用も拒否した事から完全に寝たきりの生活になりました。
そして、診断を受けた約2年後の1941年6月2日に死去しました。
死の直前には、全盛期93キロあった体重が半分以下の41キロしか
無かったそうです。
プロの野球選手ですら、ここまで弱ってしまうこの病気は
本当に恐ろしいですね。。
ホーキング博士
(出典:wikipedia)
ホーキング博士は、ブラックホールなどを研究し、
現代理論的宇宙論に多大な影響を与え、
「車椅子の物理学者」としても知られる人物で、現在72歳です。
ホーキング博士は、学生の頃にALSを発症しました。
通常なら発症後すぐに進行し、死に至る場合が多いのですが、
途中で進行が急に弱まり、発症から50年以上たっても健在でいます。
ホーキング博士は、結婚をし子供、そして孫もいます。
21歳の時に、1人目の妻ジェーンさんと知り合い、2年後に結婚。
結婚生活は25年続きましたが、1991年に離婚。
その後担当看護師だったエレインさんと4年後の1995年に再婚。
しかし、2006年にまたも離婚。
ホーキング博士はALSを患いながらも、恋多き男ですね。
現在は意思伝達のために重度障害者用意思伝達装置を使っており、
スピーチや会話では、
コンピュータプログラムによる合成音声を利用しているようです。
ALSの中でもホーキング博士のように
途中で進行が止まることもあるようですね。