実は日本は80年前にも五輪返上していた!五輪返上の歴史

 

2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会の会長に就任する森元首相が
小泉元首相が訴えている「原発即時ゼロ」について

「今から(原発)ゼロなら、五輪を返上するしかなくなる」

と発言して話題を集めています。

 

 

なぜこのような発言をしているのでしょうか?
その答えは五輪返上の歴史にありました。

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なぜ「五輪返上」という発言をするの?

初めて東京オリンピックが開催されたのは1964年で、
2020年にもう一度東京でオリンピックが行われることが決定し、
盛り上がっていますよね。

 

 

実は約80年前の1940年にも、東京オリンピックが開催される予定だったんです。

 

 

オリンピック史上初めて史上初めて欧米以外の有色人種国家であり、
アジアで行われるオリンピック大会として準備が進められていたものの、
日本政府が開催地を返上し、「幻のオリンピック」となりました。

 

 

この歴史と東京オリンピック決定後の五輪返上デモがあるからこそ、
森元首相は皮肉を込めて発言しています。

五輪返上の歴史

五輪返上の歴史を年表で見てみます。

    • 1929年

日本学生競技連盟会長の山本忠興が
来日した国際陸上競技連盟(IAAF)会長
ジークフリード・エドストレーム(後のIOC会長)と会談し、
オリンピック誘致の機運が高まる。

    • 1931年

東京市議会で「国際オリンピック競技大会開催に関する建議」が
満場一致で採択される。
主会場には駒沢ゴルフ場の跡地、明治神宮外苑などが挙げられる。

    • 1932年

日本はジークフリード・エドストレーム(IOC会長)に
招待状を提出。
当時の候補地のうち
東京、ローマ、ヘルシンキの3都市の争い
となる。

    • 1935年

イタリア首相のベニート・ムッソリーニに直接交渉を行い、
ローマの辞退を勝ち取る。

    • 1936年

投票の末、東京36票、ヘルシンキ27票で、
アジア初となる東京開催が決定される。

    • 1937年

盧溝橋事件が起き、日中戦争が始まる。
陸軍が軍内部からのオリンピック選手選出に異論を唱える。

    • 1938年

日中戦争遂行以外の資材の使用を制限する需要計画を決定。
五輪返上が決定。
ヘルシンキでの開催が決定。

    • 1939年

第二次世界大戦勃発。
ヘルシンキでのオリンピックも中止される。

    • 1945年

日中戦争、第二次世界大戦が終戦。

(Wikipedia 参照)

1938年に日中戦争以外の資材をオリンピックで使わないために決定された、
とあります。
つまり、日中戦争を遂行するために五輪返上がされたということです。

 

戦争とはまた別の話ですが、
原発問題でまだ完全に安全だと言えない日本で
本当にオリンピックが開催して良いのか?という議論がされています。

 

脱原発派の小泉元首相原発推進派の森元首相の今後の発言に注目ですね。

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